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by Yue | 2008-08-20 | | top
26日のジンクスが破られる [2007.07.27 - 奈良ニュース]
昨日のエントリで言及しましたが、今年の正倉院展の詳細発表は7月26日ではなかったようです。うーん、残念(笑)。
でも、読売新聞主催の正倉院展関連フォーラムが開催されたり、YOMIURI ONLINE内で正倉院宝物の紹介がされていたりすることから、今年も読売新聞が主催すると見て間違いなさそう。
発表が楽しみです。
関連リンク
・天平の煌めき (YOMIURI ONLINE内にある正倉院展関連ページ)
でも、読売新聞主催の正倉院展関連フォーラムが開催されたり、YOMIURI ONLINE内で正倉院宝物の紹介がされていたりすることから、今年も読売新聞が主催すると見て間違いなさそう。
発表が楽しみです。
関連リンク
・天平の煌めき (YOMIURI ONLINE内にある正倉院展関連ページ)
ご無沙汰しております。
気がつけばもう7月後半。
そして気がつけば、今日26日は「正倉院展の詳細が発表される日かもー!」と一人勝手に盛り上がっている日です。(参照-ひっそりとたたずむ「正倉院展」 (2007.07.10))
さあ実際はどうなるか、楽しみに待っていることにします。
……今YOMIURI ONLINEの正倉院展ページ(http://osaka.yomiuri.co.jp/shosoin/)を確認してきたところ、目立つ変化はありませんでした。夜になれば分かるかなー?
気がつけばもう7月後半。
そして気がつけば、今日26日は「正倉院展の詳細が発表される日かもー!」と一人勝手に盛り上がっている日です。(参照-ひっそりとたたずむ「正倉院展」 (2007.07.10))
さあ実際はどうなるか、楽しみに待っていることにします。
……今YOMIURI ONLINEの正倉院展ページ(http://osaka.yomiuri.co.jp/shosoin/)を確認してきたところ、目立つ変化はありませんでした。夜になれば分かるかなー?
2007年度「ライトアッププロムナード・なら」 [2007.07.13 - 奈良ニュース]
既に半月が経過していますが、奈良で夏の風物詩が始まっています。
7月から10月までの長期間にわたって、奈良市内の観光地11ヶ所がライトアップされるという恒例の行事です。
ライトアッププロムナード・なら あかりwalk
(製作:ライトアッププロムナード・なら実行委員会(奈良県観光交流局観光課))
ライトアップは夜の7時〜10時まで(9月からは6時から)で、ライトアップされる11ケ所は以下の通り。
猿沢池、興福寺五重塔、春日大社一ノ鳥居、奈良国立博物館本館、浮見堂、円窓亭、仏教美術資料研究センター、東大寺(大仏殿・中門・南大門)、新公会堂、平城宮朱雀門、薬師寺
平城宮朱雀門と薬師寺以外の9ケ所は全て奈良公園近辺にあるので、10月までの間に奈良公園にいらっしゃる場合は、夜まで踏ん張ってみるのもいいかもしれません。
これに合わせて奈良交通では2時間ほどの夜景巡りツアーも運行されているので(7・8月限定)、こちらをご利用になるのもいいかも。
夜のライトアップコース <7〜8月限定> (奈良交通サイトトップ>定期観光バス>)
8月には燈花会も始まりますので、奈良の夜はしばらくの間温かい光に包まれそうです。(燈花会エントリはまた後日)
……ところで、「ライトアッププロムナード・なら」の近鉄電車のパンフレットがなかなかオシャレ。近鉄グッジョブです。(Web上では見つけられませんでした。とほ)
7月から10月までの長期間にわたって、奈良市内の観光地11ヶ所がライトアップされるという恒例の行事です。
ライトアッププロムナード・なら あかりwalk
(製作:ライトアッププロムナード・なら実行委員会(奈良県観光交流局観光課))
ライトアップは夜の7時〜10時まで(9月からは6時から)で、ライトアップされる11ケ所は以下の通り。
猿沢池、興福寺五重塔、春日大社一ノ鳥居、奈良国立博物館本館、浮見堂、円窓亭、仏教美術資料研究センター、東大寺(大仏殿・中門・南大門)、新公会堂、平城宮朱雀門、薬師寺
平城宮朱雀門と薬師寺以外の9ケ所は全て奈良公園近辺にあるので、10月までの間に奈良公園にいらっしゃる場合は、夜まで踏ん張ってみるのもいいかもしれません。
これに合わせて奈良交通では2時間ほどの夜景巡りツアーも運行されているので(7・8月限定)、こちらをご利用になるのもいいかも。
夜のライトアップコース <7〜8月限定> (奈良交通サイトトップ>定期観光バス>)
8月には燈花会も始まりますので、奈良の夜はしばらくの間温かい光に包まれそうです。(燈花会エントリはまた後日)
……ところで、「ライトアッププロムナード・なら」の近鉄電車のパンフレットがなかなかオシャレ。近鉄グッジョブです。(Web上では見つけられませんでした。とほ)
ひっそりとたたずむ「正倉院展」 [2007.07.10 - 独り言]
今日たっまたま「そういえば今月に今年の正倉院展の詳細が発表されそうだなー」と思っていた私。
去年・一昨年の2回を考えると、恐らく今年も今月26日前後に発表されると勝手に予想しているのですが。
先ほど何気なく「YOMIURI ONLINE」を見ていたところ、サイトトップに「正倉院展」というリンクが。

あれ?今までこんなリンクあったか?あったら気づきそうな気がするのだけれども。いやいやでも私のことだから、ずっとあったのに無視してきた可能性も……と、今ヒジョーにソワソワしております。ちなみにリンク先は去年と同じ「天平の煌めき」でした。
今改めて冷静に考えているのですが、去年の正倉院展終了以降はこんなリンク無かったと思う。たぶん。恐らく。無かったかもしれない。本当に無かったのか?……書いてると自信なくなってきたので、これ以上追求するのはやめておきます。たぶん(まだ言うか)
とにかく、今年もそろそろこういう季節がやってきました。早い。(ちなみに正倉院展そのものは毎年10月末から2週間ほどに渡って行われます)
YOMIURI ONLINEに「正倉院展」の文字が載るということは(いや、去年からずっと載ってた場合もあるけれども)、今年のスポンサーも読売新聞でしょうか。
例年のような楽しい広告を心の底から期待しております。
今年の正倉院展にも行けるといいなー。
関連エントリ
・2006年度正倉院展 (06.07.26)
――06年正倉院展の正式発表日は7月26日
・2005年度正倉院展 (05.07.26)
――05年正倉院展の正式発表日も7月26日
ということで、今年も26日?か?
去年・一昨年の2回を考えると、恐らく今年も今月26日前後に発表されると勝手に予想しているのですが。
先ほど何気なく「YOMIURI ONLINE」を見ていたところ、サイトトップに「正倉院展」というリンクが。

あれ?今までこんなリンクあったか?あったら気づきそうな気がするのだけれども。いやいやでも私のことだから、ずっとあったのに無視してきた可能性も……と、今ヒジョーにソワソワしております。ちなみにリンク先は去年と同じ「天平の煌めき」でした。
今改めて冷静に考えているのですが、去年の正倉院展終了以降はこんなリンク無かったと思う。たぶん。恐らく。無かったかもしれない。本当に無かったのか?……書いてると自信なくなってきたので、これ以上追求するのはやめておきます。たぶん(まだ言うか)
とにかく、今年もそろそろこういう季節がやってきました。早い。(ちなみに正倉院展そのものは毎年10月末から2週間ほどに渡って行われます)
YOMIURI ONLINEに「正倉院展」の文字が載るということは(いや、去年からずっと載ってた場合もあるけれども)、今年のスポンサーも読売新聞でしょうか。
例年のような楽しい広告を心の底から期待しております。
今年の正倉院展にも行けるといいなー。
関連エントリ
・2006年度正倉院展 (06.07.26)
――06年正倉院展の正式発表日は7月26日
・2005年度正倉院展 (05.07.26)
――05年正倉院展の正式発表日も7月26日
ということで、今年も26日?か?
水ばかりで測量していた飛鳥時代 [2007.07.08 - 奈良ニュース]
石室の解体作業が一段落した高松塚古墳で、土地の水平を調べるための技術跡が見つかりました。
直径7〜8cmの小さな穴でも考古学では大発見なのですね。おもしろい。
「水ばかり(“水だらけ”の意味ではないですよ)」とはどんなもんなのか全くイメージが掴めないので、調べてみました。
同じ原理を利用した器具が現在でも使われているそうです。その名も「水準器」。
【Wikipedia>水準器】にイメージの湧きやすい写真がありましたので、そちらをご覧いただければと思います。
今回話題になっている「水ばかり」は、入れ物に水を注いで水平さを調べるというもの。水準器よりも多少原始的ではありますが、ほぼ同じ技術が1300年以上経った今でも通用しているというのがすごい。
『日本書紀』にこの器具が献上されたことが記載されているらしいので、いつもながら調べてみました。 意味も分からない原文を見ながら行ったり来たりして、ついに見つけた時の感慨深さといえばもう。「おー!」です。
「■」部は恐らく判別不可能な文字なのでしょうから、それ以外の漢字の説明を。
まず最初から5文字の「黄書造本實」は人名です。「きふみのみやつこほんじち」と読みます(その他色んな読み方があるモヨウ)。難しい。
この人は渡来人系の絵師で、同高松塚古墳の壁画を描いた人物の候補にも挙がっているお方です。
で、『日本書紀』本文に戻って。
6文字目の「獻」は「献上」の意でしょう。
7-8文字の「水■」こそが、今回話題になっている「水ばかり」。「■」の部分には「測り(量り?)」を示す文字が入っているものと思われます。
ということで、『日本書紀』の上の一文を訳すと、「天武天皇10年の671年3月3日、黄書造本實さんが“水ばかり”を献上したよー」ということになります。(蛇足ですが、この671年は天智天皇が崩御し、弘文天皇が即位した年です)
今回高松塚古墳で見つかった穴は、恐らくその「水ばかり」の原理を利用して水平を調べたのでしょう。
鎌倉時代(1309)に作られた「春日権現験記絵(かすがごんげんげんきえ / 春日大社の由来に関する絵巻で、古代建築史では重要な史料)」には、当時の人が「水ばかり」を使って土地の水平度合いをはかっている光景が描かれています。
読売新聞Web版の記事に該当部の写真が載っていて、当時の雰囲気が感じられて楽しいですよ(参照-奈良・高松塚古墳 最古の水準器 水平保つ斬新発想 (YOMIURI ONLINE / 07.7.7))
参考リンク
・古事記正解
――『日本書紀』の本文データを引用させていただきました
直径7〜8cmの小さな穴でも考古学では大発見なのですね。おもしろい。
床石の周りに杭穴 古代の水平測量技術を裏付け 高松塚 (asahi.com / 07.7.7)
高松塚古墳(奈良県明日香村、7世紀末〜8世紀初め)の石室の床石周囲で、床石の表面を水平に加工するため糸を張った杭(くい)の跡とみられる9個の穴が見つかった。石室解体に伴って発掘を進める文化庁が6日、発表した。古代には、「水ばかり」(水槽)を用い、水面と平行に糸を張って、水平を確認する建築・測量技術があったとされるが、実際に遺構で裏付けられたのは初めて。
杭穴は直径7〜8センチ。床石の北側に1個と、東西に4個ずつ対称に残っていた。74年の発掘調査で南側でも1個見つかっており、計10個(5組)の穴が確認できた。ほかにも左右対称の2個の穴とみられる跡があり、調査している。
「水ばかり(“水だらけ”の意味ではないですよ)」とはどんなもんなのか全くイメージが掴めないので、調べてみました。
同じ原理を利用した器具が現在でも使われているそうです。その名も「水準器」。
【Wikipedia>水準器】にイメージの湧きやすい写真がありましたので、そちらをご覧いただければと思います。
今回話題になっている「水ばかり」は、入れ物に水を注いで水平さを調べるというもの。水準器よりも多少原始的ではありますが、ほぼ同じ技術が1300年以上経った今でも通用しているというのがすごい。
『日本書紀』にこの器具が献上されたことが記載されているらしいので、いつもながら調べてみました。 意味も分からない原文を見ながら行ったり来たりして、ついに見つけた時の感慨深さといえばもう。「おー!」です。
天智天皇一〇年(671)三月庚子《三》
(略) 黄書造本實獻水■。
――データは「古事記正解」さんの「『日本書紀』テキスト」より
「■」部は恐らく判別不可能な文字なのでしょうから、それ以外の漢字の説明を。
まず最初から5文字の「黄書造本實」は人名です。「きふみのみやつこほんじち」と読みます(その他色んな読み方があるモヨウ)。難しい。
この人は渡来人系の絵師で、同高松塚古墳の壁画を描いた人物の候補にも挙がっているお方です。
で、『日本書紀』本文に戻って。
6文字目の「獻」は「献上」の意でしょう。
7-8文字の「水■」こそが、今回話題になっている「水ばかり」。「■」の部分には「測り(量り?)」を示す文字が入っているものと思われます。
ということで、『日本書紀』の上の一文を訳すと、「天武天皇10年の671年3月3日、黄書造本實さんが“水ばかり”を献上したよー」ということになります。(蛇足ですが、この671年は天智天皇が崩御し、弘文天皇が即位した年です)
今回高松塚古墳で見つかった穴は、恐らくその「水ばかり」の原理を利用して水平を調べたのでしょう。
鎌倉時代(1309)に作られた「春日権現験記絵(かすがごんげんげんきえ / 春日大社の由来に関する絵巻で、古代建築史では重要な史料)」には、当時の人が「水ばかり」を使って土地の水平度合いをはかっている光景が描かれています。
読売新聞Web版の記事に該当部の写真が載っていて、当時の雰囲気が感じられて楽しいですよ(参照-奈良・高松塚古墳 最古の水準器 水平保つ斬新発想 (YOMIURI ONLINE / 07.7.7))
参考リンク
・古事記正解
――『日本書紀』の本文データを引用させていただきました
奈良時代から続く「七夕」 [2007.07.06 - 勝手に奈良学]
さて、明日は星に願いをする日、七夕です。奈良の天気はどうやら芳しくないようですが、皆さんのところはいかがでしょうか。
「七夕は奈良時代に始まったらしい」という話の“奈良”の文字に脳内センサーがピコーンと反応したので、七夕について調べてみました。
「乞」は「乞い願う」こと、「巧」は「巧み」になること、「奠」は「まつる」こと。
当時の中国で重要とされた機織りや詩歌などが「巧み」になるよう「乞い願う」ために行っていた、「まつり」事の行事のようです。
(「奠」という字は中国語かと思っていたら、手持ちの漢和辞典『漢字源』で「まつる」としてきちんと表記されていました。未知との遭遇)
この棚機津女さんは、機(はた)で織り上げた布を神に捧げることによって村を災いから救ってもらうように願い、神の降臨を待ったという女性。
これは日本の伝説なのですが、この伝説と上記中国の「乞巧奠」が習合し、「七夕」という行事が行われるようになったようです。
その後、同・持統天皇の治世である奈良時代以降にこの行事が宮中で定着したことから、「七夕は奈良時代に始まったらしい」ということになったのではないかと思われます。
「七夕」という単語が直接的に使われ始めた時期までは調べ切れませんでしたが、上記から40年ほど経った聖武天皇時代の『続日本紀』に「たなばた」の文字がありました。
年は734年。『風土記(出雲版)』完成の翌年です。
「聖武天皇辺りはお祭り好きっぽいから特に七夕のお祭をやってそうだなー」と思って何気なく調べてみたら、ほんとにしてらっしゃったようです(笑)
「七夕」の言及があるのは歴史書だけではありません。天下の『万葉集』の詩にも詠まれています。
同『万葉集』には、織姫と彦星を詠ったロマンチックな歌もあります。
織姫と彦星が1年に1度しか会えないという伝説は、この当時からあったのですね!ビックリ。
以上が奈良時代辺りまでの「七夕」。
現在のように一般的に広まったのは、江戸時代以降とされているようです。
江戸時代の「七夕」の根本は古代のそれと同じで、習い事(裁縫や書道)の上達を願うための行事だったのだとか。
それが今では「短冊に願い事を書いて笹につるせば、どんな願い事も叶うよ!」という行事に変化しているのが、これまた面白いです。
現代人は太っ腹?か?
関連リンク
・古事記正解
――エントリ中のデータを引用させていただきました
・七夕の節句 (日本の文化いろは辞典>五節句>七夕の節句)
――七夕の歴史の簡単説明
「七夕は奈良時代に始まったらしい」という話の“奈良”の文字に脳内センサーがピコーンと反応したので、七夕について調べてみました。
七夕の起源は中国
もともとの起源は中国の宮中行事「乞巧奠(きこうでん)」だとされています。「乞」は「乞い願う」こと、「巧」は「巧み」になること、「奠」は「まつる」こと。
当時の中国で重要とされた機織りや詩歌などが「巧み」になるよう「乞い願う」ために行っていた、「まつり」事の行事のようです。
(「奠」という字は中国語かと思っていたら、手持ちの漢和辞典『漢字源』で「まつる」としてきちんと表記されていました。未知との遭遇)
中国と日本の融合
「たなばた(七夕)」は古来「棚機」と表記されていました。これは『古事記』に記されている「棚機津女(たなばたつめ)」という女性の名前から来ています。この棚機津女さんは、機(はた)で織り上げた布を神に捧げることによって村を災いから救ってもらうように願い、神の降臨を待ったという女性。
これは日本の伝説なのですが、この伝説と上記中国の「乞巧奠」が習合し、「七夕」という行事が行われるようになったようです。
古文書にみる「七夕」
「七夕(棚機)」という直接の言及はありませんが、691年・持統天皇時代の7月7日に宮中行事が行われたことが『日本書紀』に記されています。持統五年(691)七月丙子《七》◆丙子。宴公卿。仍賜朝服。これが初めて日本で行われた「七夕」に関連する行事とされているのだとか。
――「古事記正解」さんの「『日本書紀』テキスト」より
その後、同・持統天皇の治世である奈良時代以降にこの行事が宮中で定着したことから、「七夕は奈良時代に始まったらしい」ということになったのではないかと思われます。
「七夕」という単語が直接的に使われ始めた時期までは調べ切れませんでしたが、上記から40年ほど経った聖武天皇時代の『続日本紀』に「たなばた」の文字がありました。
年は734年。『風土記(出雲版)』完成の翌年です。
秋七月七日
(略)
この夕べ、南苑に移って、文人に命じ七夕の詩を作らせられ、出来に応じて禄を賜った。
――『続日本紀 全現代語訳(上)』
「聖武天皇辺りはお祭り好きっぽいから特に七夕のお祭をやってそうだなー」と思って何気なく調べてみたら、ほんとにしてらっしゃったようです(笑)
「七夕」の言及があるのは歴史書だけではありません。天下の『万葉集』の詩にも詠まれています。
棚機之 五百機立而 織布之 秋去衣 孰取見 (作者未詳)
《棚機の 五百機立てて 織る布の 秋さり衣 誰かとりみむ》
多奈波多之 船乗須良之 麻蘇鏡 吉欲伎月夜尓 雲起和多流 (大伴家持)
《織女し 舟乗りすらし まそ鏡 清き月夜に 雲立ち渡る》
――原文・訳文共に「古事記正解」さんの「『萬葉集』テキスト」より
同『万葉集』には、織姫と彦星を詠ったロマンチックな歌もあります。
織女之 今夜相奈婆 如常 明日乎阻而 年者将長
《たなばたの 今夜逢ひなば 常のごと 明日を隔てて 年は長けむ》
<織姫が、今夜(彦星に)逢ったなら、いつものように、明日を境(さかい)として(また逢えない)一年間は長いことであろう。>
――原文・訳文共に古事記正解」さんの「『萬葉集』テキスト」より
――現代語訳は『全訳古語辞典』(旺文社)より
織姫と彦星が1年に1度しか会えないという伝説は、この当時からあったのですね!ビックリ。
以上が奈良時代辺りまでの「七夕」。
現在のように一般的に広まったのは、江戸時代以降とされているようです。
江戸時代の「七夕」の根本は古代のそれと同じで、習い事(裁縫や書道)の上達を願うための行事だったのだとか。
それが今では「短冊に願い事を書いて笹につるせば、どんな願い事も叶うよ!」という行事に変化しているのが、これまた面白いです。
現代人は太っ腹?か?
関連リンク
・古事記正解
――エントリ中のデータを引用させていただきました
・七夕の節句 (日本の文化いろは辞典>五節句>七夕の節句)
――七夕の歴史の簡単説明
飛鳥池遺跡、石見銀山の先輩に [2007.07.01 - 遺跡・文化財の出土、判明]
石見銀山、世界遺産登録おめでとうございます。
狙ったのか、それともたまたまなのか。登録が決まった翌日、石見銀山と奈良県の縁が公表されました。
このエントリの主役は、石見銀山(16世紀ごろから最盛期)から900年ほど先輩の、飛鳥池遺跡(7,8世紀)です。
飛鳥池遺跡というのは、明日香村にある飛鳥時代の工房跡。金、銀、ガラスなど、多岐に亘る出土品が見つかっています。
特に有名なのが、「富本銭」と「天皇木簡」。
近年わが国最古の貨幣として認識されるようになった「富本銭」は、この遺跡で見つかるまでは、貨幣として使用されていないと考えられてました。
「天皇木簡」は、我が国で最古の「天皇」という2文字が書かれている木簡です。
などなど、実に色々なものを隠し持っている飛鳥池遺跡。
前者は1998年に見つかり、後者はその翌年・1999年に見つかっていることからも分かる通り、飛鳥池遺跡で様々な歴史的な発見がされるようになったのは、つい10年ほど前から。
今回の「銀精錬技術」の発見もしかり。
16世紀が最古だと考えられていたものを、900年もポーンと飛び級(?)してしまった飛鳥池遺跡に、拍手!
飛鳥池遺跡の地面はブラックホールです。
狙ったのか、それともたまたまなのか。登録が決まった翌日、石見銀山と奈良県の縁が公表されました。
このエントリの主役は、石見銀山(16世紀ごろから最盛期)から900年ほど先輩の、飛鳥池遺跡(7,8世紀)です。
飛鳥池遺跡で銀精錬 石見より900年早く(07.6.29 / asahi.com)
銅銭などを製造する飛鳥時代の官営工房だった奈良県明日香村の飛鳥池遺跡(7世紀後半〜8世紀初め)で、銀の精錬をしていたことが、奈良文化財研究所の調査でわかった。国内で確認されている銀の精錬はこれまで、世界遺産に登録された石見銀山(島根県大田市)に伝わったのが最も古い例とされており、これを900年さかのぼることになる。
飛鳥池遺跡というのは、明日香村にある飛鳥時代の工房跡。金、銀、ガラスなど、多岐に亘る出土品が見つかっています。
特に有名なのが、「富本銭」と「天皇木簡」。
近年わが国最古の貨幣として認識されるようになった「富本銭」は、この遺跡で見つかるまでは、貨幣として使用されていないと考えられてました。
「天皇木簡」は、我が国で最古の「天皇」という2文字が書かれている木簡です。
などなど、実に色々なものを隠し持っている飛鳥池遺跡。
前者は1998年に見つかり、後者はその翌年・1999年に見つかっていることからも分かる通り、飛鳥池遺跡で様々な歴史的な発見がされるようになったのは、つい10年ほど前から。
今回の「銀精錬技術」の発見もしかり。
16世紀が最古だと考えられていたものを、900年もポーンと飛び級(?)してしまった飛鳥池遺跡に、拍手!
飛鳥池遺跡の地面はブラックホールです。






