奈良時代は奈良に収まらず。 [2007.05.06 - 奈良の外に見る奈良]

コソッ……
ということで、ただいま人気絶好調のこの子に会いにいってきました。
いや違う、築城400年祭で賑わっている彦根城に行ってきました。一応こっちがメインだ。
ひこにゃん人気も手伝って彦根城が大人気というのは以前から知っていたのですが、想像以上の人の多さで、彦根城天守閣に上るのに90分待ちというのにはさすがに辟易しました。
USJのアトラクションか。城内にジェットコースターでも通ってるのか。
で、なぜ彦根城に行ったことをわざわざここに書いているかと言うと、意外な奈良繋がりを見つけたからです。
発見場所は、天守閣の北西にある「観音台」。

写真では文字が見え辛いと思いますので、以下看板に記載されている説明を引用します。
ここを観音台といい、往時産土神が祭られていたと伝えられている。藤原鎌足の子藤原不比等が近江の大守に任じられて淡海公と呼ばれ、この土地に住まわれたこともあり、その子藤原房前が、護持仏として所持していた黄金の亀の背に乗った高さが1寸8分の聖観音を本尊にして一寺を建立し、金亀山彦根西寺観音と名付けた。それは養老4年(720年)元正天皇の御代のことであった。
その時以来彦根山を金亀山ともいい、後に出来た彦根城を金亀城と呼ぶようになった。
(※一部表記の変更、句点の追加をしました)
ということで、あの付近には奈良時代に藤原不比等が住んでいた時期があり、その子・房前が「彦根西寺」を建てたそうです。
その時房前が持っていた“金の亀に乗った観音”を安置したことから、あの地を「金亀」と呼ぶようになり、その後に建てられた彦根城も別名「金亀城」と呼ばれている、というのが、簡単な注釈。
ちなみに藤原不比等は、先日のエントリ「興福寺北円堂」と非常に繋がりの深い人物です。不比等の一周忌に建てられたのが北円堂なのです。(参考-興福寺の北円堂と国宝館へズームイン! (07.05.01))
この間訪れた北円堂に馴染み深い人の名前を、何気なく訪れた彦根城で見つけるとは。偶然のリンクほど楽しいものはありません。
そうそう、「金亀」は「こんき」と読みます。刺し違えても「きんかめ」ではありません。よく覚えておきなさい私。
まさか彦根に行って奈良チックなお名前を見るとは思っていなかったので、看板を見ただけで「わー!」と思ってしまい油断しました。
肝心の「観音台」の風景写真撮るの忘れた……。迂闊……!
……ということで当然のことではありますが、結論はエントリタイトル通り。
奈良時代は奈良県に収まらず。


